2016/12/24

ロマンスの神様(僕を見棄ててくれて)どうもありがとう

 クリスマス。恋人達の季節である。
クリスマスに恋人同士がイチャイチャするなんてもうあまり流行りではないような風潮も何となく感じるけれど、それでも街は手を繋いだ若い二人で溢れ、ラブホテルは満室なのである。

 よく「付き合ってる人はいないの?」と訊かれるんだけど、簡潔に答えるなら、いない。
そしてもっと言えば今まで人と付き合った事がない。

 なぜならそもそも「付き合う」の定義がよく解らないから。
世間の人々が何をもって「付き合う」と言っているのか。
キスをすれば付き合っているのか、セックスをすれば付き合っているのか。
お互いに「付き合おう」という確認がないとダメなのか、さっぱり解らない。

 別に付き合ってなくてもデートしたりご飯食べたりセックスしたりすればいいし、付き合うから別れ話で泣いたり浮気で騒いだり拘束されてストレスが溜まったり、バカじゃないの?とすら思う。

 そう答えるともう宇宙人扱いで恋話の輪からは除外されるほどどうやら地球人は付き合うのが当たり前と思っていて、誰かと付き合っている人は誰とも付き合っていない人よりヒエラルキーが上なのである。
もちろんそれでその人達が幸せならコチラは別にいいんだけど、でも向こうからするとコチラのような人間はもはや理解不能で社会的抹殺すらしたいようだ。
共通幻想とは恐ろしいものである。

 けっきょく恋人付き合いというのは、して当たり前と社会が思わせている結婚という制度の予行演習であり、結婚は書類も用いる契約だからなるべく問題は避けたい、そのためのプレビューであり、ママゴトなのである。
国や時代が違えばそのママゴトすら出来ないまま相手と結婚させられるケースもあるワケで、それに比べれば例え恋のもつれで別れて傷付いたとしてもまだまだ幸せな方だろう。

 寒空の中、まるで結婚制度のプロパガンダのようにイルミネーションは大きく輝き、恋人達は今日もそれを見上げる。
そして制度からハミ出た小数の反体制派はその光景に恐怖すら感じながら、こっそり一人でチキンなんか食っちゃうのである。