2017/03/16

沈黙の湖

 1970年代、フィリピンに"沈黙の湖"と呼ばれた女性が居た。
大富豪の娘である彼女が恋をしたのは、遊び人の男だった。彼女の両親や兄達は当然交際を反対し、父親は権力を駆使して彼女と男とを繋ぐ電話回線を切り、彼女をアメリカへ行かせた。
それでも彼女は男を忘れられず心労から体調を崩す事をあまりに繰り返すのでついに両親と兄達は交際を認め、結婚に至る。
彼女は金銭面でも全て男の面倒を見て養い、不自由のない生活を送らせ三人の子供も授かった。

 しかし彼女の耳には男の浮気の噂が幾度となく入って来た。
それでも彼女は「自分はその場面を見ていないから」と男を信じ、暮らした。

 彼女はとても物静かで、怒りを露にするタイプではなかった。しかし表面は穏やかな湖ほど深く恐ろしいものであると周りの人間は言った。

 ある日彼女はタクシーで映画館に向かう。車のドアを開けて見たものは、男が他の女と一緒に映画館から出て来る姿だった。
彼女の兄達が彼女に、男の行動をこっそり教えたのだった。

 それからの彼女の行動は目覚ましいものがあり、その日の内に男の銀行口座から全ての金を下ろし、男の荷物を全て家の門の外へと放り出させ、子供達とも会えないように計らった。
彼女はただ男から愛され敬われたかった。それだけでよかった。それだけでよかったのに。

 一夜にして無一文になり全てを失った男は、地下の薄暗い部屋で酒浸りの生活を送るようになり、彼を立ち直らせようとした人々も居たが、ついには人と会う事も話す事さえも億劫になるほどの鬱状態に陥り、海辺の家で死んだ。

 子供達と共にその最期を看取った彼女に、海の波の音はどう聴こえていたのだろうか。



 先週末、ダンサーのAIKOこと水野愛子が企画するコンテンポラリーのダンス公演に参加してきた。
「赤裸々パッション 愛の園」と名付けられたこのシリーズの前回公演を観に行ったのだが、愛子が開催しているワークショップの生徒達と小さなギャラリーで行う公演で、生徒達も別にダンサーを目指してるワケではなく年齢や職業やダンススキルもバラバラとの事だったので、正直、素人のダンス発表会を観に行くくらいのゆる~い気持ちで向かったんだけど、これが予想を越えて凄く良かった。
愛子や皆がそれこそ赤裸々に自分の生活や過去を実際の職業や本名で演じるドキュメンタリー的な要素、芝居としてのフィクションの部分、そしてダンスが、断片的にガラスの破片のように点在して物語を作っていって不思議な冷たさと熱さを放っていた。

 愛子とはそれまで撮影で一緒だった事が多く、大体そういう時の彼女は髪に逆毛を立てて踊るというより暴れるに近いパンキッシュな役回りがほとんどだったのでそのイメージが強かったんだけど、コンテンポラリーを踊る彼女はとても綺麗で、細い首や指、キュッとした足首、醸し出す迫力と緊張感がまるで研がれた刃物のようで、美しいけどヒリヒリする、そんな感じだった。
演出もギャラリーの構造を上手く使っていて、コンクリートの床や大きなガラスの窓にガラスの天井、階段に、白い壁には出演者が描いたイラストを貼り。
窓からの夜景や開け放したドアからの冷気も"効いて"いたし、スマホのライトを使った照明なんかも、やられた!って感じで嫉妬したもん。

 友達を褒めるのって気持ち悪いかもだけど、本当に良いと思ったので公演の後に酒飲みながら本人にそれを伝えたら今回出演する事に。人生何が起こるか分かりませんねー。まさか僕がコンテンポラリーって。

 で、愛子からは僕に冒頭の"沈黙の湖"と呼ばれた女性を演じて欲しい、と。
彼女が愛した遊び人の男性が愛子の親戚だそうで、なので実話で実在の人物。すんごいドラマチックだけど。
だから他の出演者とはちょっと違うスタンスでの参加で、このパートは「雲平劇場」と名付けられていたほど。
そして二人の出逢いから男の海辺での死までの長~~~いセリフを渡されるという。本番直前にドドッと。

 4行以上の文章は憶えられないというワガママボディーなんだけど頑張って憶えました。

 憶えましたけど!

 本番でセリフを噛まない回はなく、自分でもどうしてこんなに!?というほど出来の悪い回もあって、その時はもうその後ずっと(死にたい…)と思ってた。
みんなは慰めてくれたけどやっぱり自分の技量不足というか根本的な才能のなさを痛感したし、愛子が徹夜で書いてたの知ってたから余計に申し訳なくて。
疲れと寒さと花粉と睡眠薬と風邪薬のせいにしてみてもちっとも気が晴れず、今も思い出すと悔しいし恥ずかしいし申し訳ないし情けないしで、穴があったら入りたい。むしろ自分で掘るわ、穴。
でももちろん上手くいったところもあるし、いちばん大事な部分は落ち着いてちゃんと出来たし、演技で狙ったポイントを褒められたりもしたんだけど。それにしても呂律が回らない時ってあるんですね…。

 でもコンテンポラリーダンスはすごく楽しかった。ラスト"沈黙の湖"が男の死と自分の人生を想っての、悲しい場面でのダンスなので楽しいっていうのも変なんだけど、それこそ楽しいとか悲しいとかの感情ではなくて、無になれるというか、透明になってただ感覚だけがあるみたいな。
単純に、手を挙げる、脚をなぞる、呼吸をする、っていう一つ一つを確認しながら、カウントではなく自分の気持ちで動けて、これは初めての経験。
ただただ、それこそ海辺の砂のようにサラサラした虚無感だけを意識して踊った。

 他のシーンでも少し踊って、そっちは力強かったり、力を抜いたり、力量を意識しながらやったかな。
どれもすごく気持ち良かった。

 この前友達の子供を見に行ったんだけど、やっと掴まり立ち出来るくらいの赤ちゃんでも、誰も教えてないのに音楽が鳴ると頭を振ったり足踏みしたりしてて、踊りって本当に原始的なエンターテイメントなんだなーって思った。
人はなぜ踊るのだろうか?

 みんなで意見を出し合って、ここはもっとこうした方がいいとか、これは違うんじゃないかとか、思った事をディスカッションして作品を作っていく良い現場でもあった。
横文字嫌いだけど、こういうのがクリエイティブだと思う。

 自分が良いと思ったものに今度は自分が関われた、って贅沢な事だよね~。

 愛子ありがとう。

 また踊りたいな。

 僕はまたしばらく愛とは無縁の人生に戻ります。
愛されないというデフォルト。
いつまで続くのだろう?海の波のように、ずっとずっと続くんだろうな。