2015/05/11

fancyHIM 10th anniversary

 10年ひと昔とはよく言ったもので、長くも短くもあったこの10年間。
 僕がDJをさせてもらってるパーティー"fancyHIM"が今年で10周年を迎える。

 fancyHIMとの出会いは、10年前にオーガナイザーからSNS上で誘われたのがきっかけで、その頃は日本ではfacebookとかよりmixiが全盛期で(いまや完全に立場が逆転しているのも10年という時の流れだろう)、参加していたエレクトロクラッシュ系のコミュニティー一覧を見て音楽性が近いからと声をかけてもらったのだった。新しいパーティーを始めるのでよかったら遊びに来てください、と。
 いきなり見ず知らずの人からイベントへの誘いをもらってもいつもはガン無視をキメるのだがこの時は僕のアンテナがピピピと反応、そしてその受信は正しかった。

 ゲイタウン新宿二丁目の地下にある小さなナイトクラブ。
黒く塗られた壁や天井、蒸し暑かったのを憶えている。クラブというよりはライブハウスのような雰囲気だった。
 以前は新宿には歌舞伎町にCODEやLIQUIDROOM(現在は恵比寿に移転)などの大箱があり、20代前半の時はそういう派手めのとこで遊んでいたからアングラ感のある小箱は新鮮で、リー・バウリーの完コピメイクの人が居たりとかインパクトあって記憶にすごく焼き付いている。

 僕はクラブ遊びをしてたわりにクラブカルチャーについての知識は全然なくて、例えばリー・バウリーだって当時は写真はどこかで見た事あるけど名前も知らなかったくらい。
 でもクラブ遊びをする時にはいつもなぜか服やメイクを奇妙に盛って出掛けてたし、それが自分の中では普通の事だった。
 たまに(そういう扮装やDJでの選曲を)どこで勉強したの?と訊かれるけど全く勉強はしてなくて、でも90年代はクラブカルチャー全盛期で、派手でかっこいいドラァグクィーンも沢山居たしパワーがある時代だったのでその時の感覚が自分の中に意識的にも無意識でもたくさん刷り込まれてたのだろう、それが自分の感性に昇華されて自然に「そっち寄りの人」になってしまっていたのである。

 そうして第一回fancyHIMに独りで出掛けた僕は、その音楽性やファッションなどのカルチャーの片鱗に居心地の良さを見つけた。
 落ち着いた雰囲気の人が多く、大箱には必ずといっていいほど居た当時同じクラブカルチャーでも相反してたパラパラ、ユーロビート、レイブ系のギャル男達が皆無だったのも非常に快適で、それからは毎回通う事に。
 フロアで120%全力で踊れる、踊りたくなるパーティーだったし、実際明け方には靴を脱いで裸足で踊り続けてたくらい。

 よくfancyHIMでは昔からDJしてたように思われがちだけど、当初は全くもって普通のお客さんで、毎回エントランス料金を払って来る「イイお客さん」だったのが→オーガナイザーの好意でゲストで入れてもらうようになり→永久ゲスト権獲得→そしてDJやってみない?と言われて始めるようになったので、DJとしての期間は10年のうち5年も満たないほどだと思う。

 DJと言ってもそれまでそんなのやった事ないし、音楽を聴くのは好きだったけどまさか自分がかける方になるとは思ってなかったので当然機材も持ってなくてCDJやミキサーを目の当たりにしても大体の操作しか見当付かなくて、でもとりあえずは曲を途切れずに流せればいいだろうと2台のCDJをただのCDプレイヤーとして交互に再生するだけで何とかこなし、それ以上の技術的向上心も特にないのでそのまま今に至ってしまっているのだが。
 DJネームをなぜ「電気羊」にしたかというと、mixiを電気羊というニックネームでやってたから「電気さん」とか「羊さん」と呼ばれるようになってたのでそれをそのまま流用しただけで、そもそもmixi ネームを電気羊にした理由も、映画『ブレードランナー』がすごく好きでその原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』から拝借したのと、本名の雲平の「雲」の字と「電」が似てるというのと、あとはひつじ年生まれだからという、深い意味もないただの思い付きから。
 世の中のDJは日本人でもほとんど英語表記で名乗るので、たまには違うのが居てもいいんじゃね~の?という思いもあるけど、日本語の、特に漢字はフォントが極端に少ないので、WEBやフライヤーのデザインの際には邪魔に思われてるんだろうな~という事が自身もDTP業をやったりするので申し訳なくあったりもするけれど。

 正直、今でもDJするよりはフロアで踊る方が好き。
 でも10年前より明らかに体力は落ちてるし最近のクラブの傾向としてもそんなにガンガン踊る感じでもないので、大人しくDJブースの中にこじんまりと居たりしますけれども。でもやっぱり暴れたくなってしまうので、どうすればブース内でもクレイジーに動けるかを最近は模索中。動物園と一緒で、観る側も動いてるもん観た方が楽しいだろうし。でも動き過ぎてヘッドフォン断線したりしたので加減が難しい…。

 曲だって本当はもっと様々な物をかけたいんだけど、DJだってサービス業であって、お客さんはお金を払って入場するワケだし仕事としてギャランティも発生するのだから、最低限そのイベントのカラーは踏まえて、なるべく多くのお客さんが喜ぶ選曲にしたいとは思うのだが、やっぱり自分がイイと思った物しかかけたくないし、自分も楽しみたいと思うとどんどんマニアックな方向に偏ってしまうのでそこに難しさとジレンマがある。
 実際僕がスピンし始めるとフロアからサ~ッと人が引いてくなんて事はザラにあって、でもあとから必ず2人くらいが「すごく良かったです!」とわざわざ言いに来てくれるので、僕はもうその2人が喜んでもらえたならいいと思うようにしてる。

 fancyHIMが始まってから何年かは本当に休む事なく毎回通ってたしDJとしても皆勤してて、それが自分のモチベーションというかもう意地みたいなもんだったけど、ある出来事を境にその糸がプツリと切れてしまった。
 それからは自分のfancyHIMにおいての役割(別にもともとそんなものはないんだけど)に疑問が生じて、それがどんどん大きくなって自分に対して全く必要性を感じなくなり、もうDJも辞めたくなって、でもいきなり辞めるのは人員的に迷惑かかるだろうからと、じゃあ勝手に誰かを襲名させて二代目電気羊として送り込めばいいかなと思って、どうせなら自分と全然違うルックスの人が跡を継いだら面白いなと思って太ったおばさんとか探してたけど見つからず、けっきょく僕がそのまま続けているんだけど。

 それからは登校拒否状態が続いてオファーがあっても断ってたし、自分がそこに関わる意味を見つけられなかった。
 fancyHIMがどんどんファッションパーティーとして認識されオシャレに成長して、クルーにもファッショニスタが増える中、ファッションカーストの最下層である僕がそこでやる意味を見出だせなかったし、実際に友達からも「fancyHIMの中で一人だけ貧乏臭いよね~」とか言われて、確かに!と思ったり。
 ファッションの事だけでなく、fHが成長して行く反面で自分が何も変わらず結果的に落ちこぼれて行くのが自分でよく分かったし、すごく惨めだった。他にもいろんな理由はあるけど、自分はここには相応しくない気がして堪らなくて、情けないような苦しいようなそんな気持ちで。
 じゃあとっとと辞めればいいんだろうけど、やっぱり愛着があるからズルズルぐだぐだと言い訳だけしてスパッと辞められない状態。と言ってもそんな時に参加しても心底楽しめなかっただろうし、自分の惨めさが更に浮き彫りになるのに耐えられなかっただろうし。

 そういう時でもオーガナイザーはすごく優しくそんな事ないと言ってくれて参加して欲しいとオファーを続けてくれてたけど、その時の僕は自己否定の塊で、他人と自分を比較して落ち込み、こうあるべきという責任感を勝手に作り出してそれが果たせなくて、早い話が自暴自棄になってて。
 その自暴自棄がその後の精神病院への入院にも繋がって遂に社会からもドロップアウト、このまま帰らぬ人になるのかな~と自分でもボンヤリ思ったりもしたけど何だかんだで復帰して今こうして暮らしている。

 何というか僕はこう見えて変に真面目なところがあって、自分とは?とか、fHに関わる意味とは?とか考え過ぎちゃってたんだと思う。考え過ぎて頭おかしくなっちゃった。てへぺろ☆
 それによってみんなに心配をかけたり、もしかしたら僕のキツい物言いで悲しませたりしたかもしれないと今思うと後悔してるしごめんなさいの気持ちしかないです。
 でもそれだけ僕はfancyHIMを愛していたんだなと。想いが強過ぎて自爆っていう重くて痛い人だったんだなと。与える愛情と受け取る愛情の量なんて違ってて当たり前なのに無意識に自分と同量の愛や結果を渇望してたのかもしれない。その情念が怖い。平成の阿部定か!っていう。

 時間は何でも癒してくれるもので、今年に入ってボチボチと復帰してまたDJさせてもらってるけど、最近は何だかすごくサッパリとした気分で関わっている。
 自分に自信が持てるようになったというのとはちょっと違うんだけど、自分はコレでいいんだなとやっと思えるようになった。10年目でやっと。
 オシャレじゃなくても貧乏臭くてもDJ中フロアから人減ってもいいじゃん。むしろそういうヨゴレは全部俺が引き受ける!だから君達は更に華やかに活躍してくれ!っていうくらいの気持ち。
 自分のためじゃなく、少しでも僕の事をイイと思ってくれる人のためにやればいい。ただそれだけ。

 若いクルーもどんどん増えたし、僕はfHでは年長さん組なんだからもっとシッカリしないとなって思う。ジェネレーションギャップに時に驚きつつも。
 10年経てばメンバーも変わるし客層だって変わる。それが当たり前だし、例えば昔は良かったなんて事は年を取れば誰もが言う事だからそれを言っても仕方がない。

 ただ、昔から変わらない何かもある。
 今年のfancyHIMは10周年イヤー企画で、通常よりも更にブッキングに力を入れているけど、先日のLarry Teeをゲストに迎えたのは非常に意義があったと思う。
 Larry Teeは我々エレクトロクラッシュファンからしたら言わずもがなのレジェンドであり、fancyHIMが目指すところのセンスや原点を持ってる人だと思うから、彼がfancyHIMでプレイをする事によってそれが再確認出来たし、何より感慨深くて、彼が自身のコンポーズ曲であるRuPaulの「Supermodel」をかけた時には熱いものが込み上げて泣きそうになったよ。
 10年という節目に相応しい夜だった。

 これから先fancyHIMがどうなって行くかは分からない。ミーハーな自称ファッショニスタで溢れるパーティーになるのか、アンダーグラウンドに潜るのか。それは分からないけど、どう歩んでも道は道、しっかりと足跡を残せればそれでいいと思う。
 僕だってまたどうなるか分からないし、DJを辞めたとしても裏方手伝うだろうな~。以前ブッキングや、アーティストのパフォーマンスの際に舞台袖でちょこちょこ裏方仕事して楽しかった。ただDJと並行してやると大変なのと、格好が派手なのでステージの脇に居ても目立つからfancyHIMのロゴの入った黒いスタッフTシャツが欲しいくらい。

 そして何年経っても愛すべき部分はやはり人間性で、オーガナイザー始めクルーのみんなが本当に優しいし、10年経っても謙虚なとこも好き。
 僕は基本的にいつも独りで生きているけど、仲間に入れてくれてありがとう。すごく感謝してます。
 大袈裟な表現かもしれないけど、僕はfancyHIMに救われてます。それはすごくありがたい事だし、恩返ししたいけどどうしていいか分からないから、とりあえずDJ頑張る~。

 10年、相変わらず楽屋で酔っ払って泣いたり騒いだり、そんなみんなが愛しいです。
 これからもよろしくお願いします。

電気羊