「何事も体が資本」なんていう肉体論を、文系・芸術系と言われて過ごした自分は端から馬鹿にしてたけど、ある程度色々な経験を積んでくると、ほんとコレな~!としか言いようがない。
もともと幼少期の2歳半頃から病気をしていたので、早朝に発作で目覚めタクシーで総合病院に救急で入って注射か点滴を打ってから登校というハードな小学校生活を送っていた者に「体が資本」て言われても、そりゃ無理な話で。そんな事言われても…である。
といっても例えば癌のような大病なら同情もされようものの、ただの小児喘息だったから世間的には大した事ないどうでもいい病気で、しかし幼少期の自分にとっては"なぜ悪い事もしてないのに自分がこんなに苦しまなきゃいけないのか?"が理解出来ず、発作時は精神的にも苦しかった。
苦しさや辛さというのは個人の感情だから比較なんて出来ないけど、喘息だって早い話が呼吸困難だから苦しいし、ずっと咳をしてるから体力を消耗してひどく疲れるし、けっこう辛いのだ。
おまけに親からの折檻・虐待もけっこうあった家庭だったので、それも混じって思いのほか潜在意識下に刷り込まれているのか、今でも幼少期や小学校時代を思い出すと辛かった事ばかりが真っ先に思い出されてしまう。楽しい事もたくさんあったはずなのに。
喘息の発作でゼェゼェ言ってると親にうるさいと怒鳴られた事、家族で遊びに行った先で発作を起こして自分独り寝込んで親達は遊びに出てしまい枕元にゲロ吐いたけど疲れてそのまま眠っていたら帰ってきた親にゲロを怒られた事、発作を起こすと夜中だろうと何だろうとコップ2杯以上の水を飲まされる事、おかげでただの水を飲む事に今でもちょっと抵抗がある事、大晦日の夜に酔った父親にピアノの椅子で殴られ玄関に突き飛ばされてガラスを突き破って砂利道に頬からスライディングした事、父親に殴られたり蹴られたりする時はいち早くうずくまり"亀の姿勢"になるとダメージが少ない事、それでも脇腹を蹴られて捻挫した事、髪を掴まれて顔面を床に何度も叩き付けられた事、そういう時も母は見て見ぬふりして台所で料理を作っているのが悲しいなと床にポタポタ垂れる鼻血を見つめながら思った事、でもその後で母が鼻血を拭いてくれた事、通ってた総合病院の小児科の喘息児だけのキャンプがあってみんなで肝試しをした事、でも喘息児ばっかだからみんなやつれてて点滴とかガラガラ引きながら肝試ししててそっちの方がよっぽど怖ぇよって子供心に思った事、修学旅行先でも発作を起こし点滴を打たれながら看護師が気を遣って観せてくれたテレビが「裸の大将」で、違うの観たいんだけど~と思いつつもそんな事言えた身分じゃないので仕方なく黙って大将を観てた事…などの記憶が瞬時にフラッシュバック出来るほど。
こうして書き出してみるとまるで壮絶な人生を歩んで来たかのようだけど、当時はこれが日常だったのでそこまで何とも思ってなくて、逆に同級生で親に全く殴られた事がない子が居てびっくりしたくらい。
発作が起きてない時・親がキレてない時は楽しかったので、笑顔 or 悲鳴が絶えない極端な家庭だったのである。
大人になった今だったら喘息なんかよりももっと苦しい病気の人が世の中にたくさん居る事や、子育ての難しさ、特に長男だったので理想も高く持たれていたのだろう、折檻はそのジレンマから来てたのだろうし、親にやりたい事を告げても「喘息の子は出来ない」と言われそれが後々まで呪詛のように残っていたけど、親からしたら早く丈夫になって欲しいから言ったであろう事は解る。
貧乏な家なのに長期間の治療にお金を出してくれてたし、習い事なんかもさせてくれて、親ってほんとにすごいなぁと思ってる。
しかし幼少期にそこまでの理解はなく、家族という最初の社会の中で自分中心の物の考えしか出来ない時期に健康でなかった事はその後の人格形成に大きな影響を与えていて、今の僕の、自分への諦めや虚無感、歪んだ僻み根性、痩せて平均体重に至った事のない育ちの悪い身体と疲れやすい虚弱さは間違いなくこの時から綿々と培われてきたものだろう。
たまに街で丸々と健やかそうな体育会系男子なんて見かけると無性に敗北感でいっぱいになる時がある。
健康が服着て歩いているような筋骨隆々で血色の良い爽やかな人間に勝てるワケがないという健康コンプレックス。
肉体資本主義の、負け組。
「何事も体が資本」なのであればそれは絶対的な負けであり、資本主義社会の中での金儲けだって健康じゃなきゃ出来ないし、文系ぶっても体調が悪ければ本だって読めない。
資本主義社会において貧乏人がますます貧乏になるのと同じで、肉体資本主義社会では不健康な人間はどんどん不健康になるしかないのだろうか?
喘息の方は小学生の頃から通っていた鍼治療のおかげでもう滅多に発作は出ないが(鍼を打ちに六本木まで単独通う謎の小学生だった)、それでもまだ季節や環境が変わる度に体はしんどくなり、終わらない不健康に支配されている事を改めて知らされる。
最近では更に免疫力も落ちてきたのか、人の多いイベントなどに顔を出すとすぐ風邪をひき、「主食:ルル3錠」状態だし。
「健全な肉体には健全な精神が宿る」とも言う。
不健全な肉体を持ってしまったために不健全な精神が宿ってしまった人間は、今日も健康な人間を羨み、妬み、呪って生きる。
「死ね」とか思っても奴らは健康だからなかなか死なねぇし。ヘルシーめ。
こんな人間にならないためにも、世の中の子供達にはすくすくと健康に育って欲しいものである。