ここ数年すっかり正月には憂鬱になるようになってしまった。
正月なんて食って寝て遊んでお年玉までもらえちゃう一年でいちばんアッパーな時期なのに、今や年末年始はほとんど寝込んで過ごしており、今年は暖冬なのでまだマシだが爬虫類タイプの人間なので寒さに弱く動作が緩慢になり食欲も激減、身体が冬眠モードに入るため人間としての活動に制限がかかりモゾモゾと眠ってはノソノソとオシッコしに起きるくらいの生き物に成り下がっている。
それでも以前はカウントダウンだのニューイヤーパーティーだのと夜な夜なクラブ遊びをしていたのだが、さすがにもうしんどいッス~。
かといって大自然にも興味ないので初日の出とかどうでもいいし、富士山もヘリコプターで頂上まで行って景色見るならいいけどわざわざ登ってまでは別に…っていう。
要するに正月に対するモチベーションが無いのだ。
これは由々しき事態である。
正月だって一年の内のただの冬の数日に過ぎないはずなのに、何もしないのは何となく縁起が悪く何かしら正月っぽい事をしなくてはならないのでは?という強迫観念から初詣とか行ってみたりして。
これがクリスマスだったら本当にどうでもいいのだが正月となるとこんな僕でも初詣に行ってしまうのは日本人としての血だろうか。
だが普段から信号機の色が変わるのを待つのも嫌いなくらいなので初詣のあの行列に堪えきれるワケもなく、列に並ぶ人々を皆殺しにしかねないのでいつも大きな神社の隅にある芸事の神様だという小さな祠に御詣りをしている。
しかし正月にたった一度参拝しただけで運気が上がるはずもなく八百万の神にも見放されて脱け殻のような人生を送っているので、正月の次なるイベント「実家への帰省」が重くのしかかる。
帰省といっても実家も同じ都内なので30分強で到着してしまいイベント感もないのだが。
すっかり年老いて毎年背丈が縮んでいく両親を見ては、自分が何も親を安心させてあげる事が出来ていない事に直面しなければならないので非常に心苦しい。
それでも年を取ると寂しくなるのか実家に帰ると一応歓迎される。追い出されるも同然で家を出されたのに勝手なもんだとは思うけど、これが僕の唯一出来るいちばん小さな親孝行なので正月にだけは実家に訪れるようにしている。
僕よりも遥かに背が高くなり細身ながらも逞しくなった弟を見るといつも不思議な気分になる。僕の中で弟はいつまでも小さいイメージなのだろう。
でもこうして人は成長し、それぞれの人生を生きているのだ。
僕はあまり上手く家族と接する事が出来ない。気恥ずかしくてついつい距離を取ってしまうし、なんか申し訳なくて。こんな失敗作で。
だからいつも数時間しか実家に居ない。
でもその中で普段は全然観ないテレビを家族と観たり、お節料理や雑煮やみかんを食べて団欒の時を過ごし、そんなに要らないよ!というくらいのお菓子やら何やらの土産を持たされて、夜、独りの部屋に戻る。
そして、泣きはしないけど、情けないような、人生やり直したいような気持ちでいっぱいになる。
そんな新年を毎年過ごしているのだ。
だからせめて誰かお年玉ちょうだい。