2016/02/02

ギャル

 日本には独特のギャル文化がある事は海外でも知られている。文化というと大袈裟かもしれないが、でも確実に「ギャル」と言うジャンルは時代が移り変わっても進化したり細分化したりしながら一定数存在する。

 高校時代、僕の1つ下の学年がちょうど「コギャル」ブームの全盛期で、私服の高校だったにも関わらず制服にルーズソックスの娘が校内にチラホラ居て他校生かと思ってたらわざわざどこかで制服を調達して着てたそうな。ご苦労なこった~と感心していたら、夏には鮮やかなビキニの水着の上下で校内を歩き回っていた。ここはL.A.か。
しかし校内はエアコンが効いていたので「寒~い!」と言っていたが。
これが僕とギャルとのファーストコンタクトであった。

 それからは渋谷のちょっとした飲食店などには日焼けした上下スウェット姿のギャルやギャル男達が大勢で椅子の上にあぐらなどかいて特有の言語で喋りながらだらしなく飯を喰っている光景がもう日常茶飯事になり、まるでハゲタカの群れのような自由さと不潔さを醸し出していたものだが、かと思えば店の有線放送でユーロビートが流れた途端に皆即座に箸を放って椅子に立ち上がり一心不乱にパラパラを踊り出すという条件反射にはただただ圧倒され、日本に軍国化の兆しを見たものだった。

 この「パラパラ」というユーロビートに乗せたダンスも当時爆発的ブームで、 足はただの単純な横ステップの反復、主に腕から先だけの記号的な振りはダンスというより手旗信号か昆虫の求愛のような物なのだが、その頃はユーロビートがメインではないクラブイベントに行っても大箱だと必ずサブフロアがパラパラコーナーになっていたくらいで、そこへ踏み込めば強烈な香水の匂いの中で半ばトランス状態に陥りながら目をトロ~ンとさせて延々と踊るギャル達がひしめいており、まるでアグレッシブな阿片窟のようだった。

 そうしてハイペースで進化を遂げたギャル達は最終形態「マンバ」に突入する。
山姥を語源に持つ彼女達は髪を白髪に近いほどにブリーチし、顔は日焼けの上から更に黒人用ファンデーションで茶褐色に塗り込め、白のポスカでアイメイクを施すので写真のネガのように黒と白が通常とは真逆の民族となる。
とにかく肌が黒いので、比較対象に当時美白過ぎるキャラクターとして持て囃されていた、故・鈴木その子の能面のように真っ白な御尊顔と並んで深夜のテレビに映る事もあり、その際には「大根&使い古した男根」というテロップが出る始末。

 このマンバ絶滅前の最後の世代と一緒に撮影の仕事をした事があるのだが、道端に座り込んでの化粧はもちろん、カラコンを忘れたというマンバにもう一人のマンバが「うちのコレ貸す~♪」と着けてたカラコンを外して手渡し、まさかとは思ったがそのコンタクトレンズをそのまま眼に入れて「サンキュッパ~☆」とか言っててさすがに驚いたり。

 そのマンバ達の内一人の頭髪に、ピンクやオレンジなどの色とりどりのエクステに混じって何かデカい物がブラ下がっていたので「何が付いてるの?」と尋ねたら

 「風鈴ですぅ~♪可愛くないですか!?」

 って。確かに風鈴でした。キティちゃんの。チリーンて…。

 こうした突拍子もない、しかし妙にユニークなギャルを最近はすっかり見かけなくなってしまった。
黒ギャル文化を残そう!みたいな動機のギャルユニットもあるにはあるけど、もはや保護されている天然のトキみたいな物で自然発生的な生息とは言いがたいのが現状だ。

 あの頃のギャル達は頭で考えるよりはまず行動し、自分が可愛いと思ったファッションに素直に身を包み、時には援助交際なんかしつつも適当に大人をあしらいながら社会現象を起こして周囲を翻弄する事をも楽しんで生きていたのだ。
そしてそんな彼女達もきっと今は結婚して出産して、パラパラで鍛えた腕の筋肉で子供を抱き上げ育てているに違いない。僕なんかよりはるかに立派で逞しい。

 撮影の合間の軽食にと支給されたおにぎりを「にぎりめし~!!!」と嬉しそうに頬張っていたマンバギャルは確かに眩しかった。