子供の頃からそれなりには歪んでいたとは思うけど、それが爆発したのはやはり高校時代だった。
当時はいわゆるサブカルチャーの最盛期で『危ない1号』や『世紀末倶楽部』なんかのエグいムック本が大手本屋にも並び(今も捨てられず数冊保持している)、青林堂やペヨトル工房といった出版社にもまだ活気があって僕も丸尾末広の漫画を読み漁ったりしてたワケだけど、そんな中で強く興味を持ったのが「奇形」であり、それは今現在にも続いている。
高校を卒業して小遣い稼ぎにエロ本の挿絵を描いたりしながら専門学校に通っていたのだが、同じクラスにそっち系の趣味が合う友人が居て、彼の姉は看護師だったので研修で東大医学部の標本室へ行くとの事で便乗して友人と共に見学させてもらったのだ。
東大医学部標本室。一般公開はされておらず、撮影禁止、門外不出の聖域である。
石造りで雄大にそびえ立つ東大の建物の一角の古びたドアを開けると、薄暗い、思ったよりも狭くて、薬液だろうか、すえた臭いが充満し、埃っぽくてお世辞にも清潔とは言い難い部屋。
教授なのか白衣を着た中年男性が独り、看守も兼ねてやる気なさげに座っていた。
さて肝心の標本はというと多くは瓶の中でホルマリン漬けになっており、ほとんどが赤ちゃん(おそらく死産)なのだが、水頭症に単眼症、無脳症に小頭症、シャム双生児に口蓋裂、などなど奇形児のオンパレード。
彦麿呂なら「フリークスの宝石箱や~!」と言うに違いない。
生きていないからだろうか、瓶の中だからだろうか、現実感はそれほど無いけど、確かな存在感。
水頭症なんてぬらりひょんだし単眼症はそのまんま一つ目小僧だし、昔の妖怪はきっと奇形児を見聞きしたものが多いのだろう。
「普通」ではない者はそれほどまでに怖れられ、疎外され、そしてそれゆえに魅力的でもあるのだ。
奇形だけでなく全身を刃物でメッタ刺しにされて死んだ赤ちゃんなんかも同じくホルマリン漬けにされて無造作に棚に置かれているだけで、その扱いの雑さがまた予想外で、地震とかあったらどうすんの?これらの瓶が一斉に倒れかかってきたら怖いだろうな~って感じなのだが、そんな心配もよそに異形の嬰児達は腫れぼったい瞼で薬液の中に時を忘れて佇んでいる。
標本室の棚は赤ちゃんだけでなく、梅毒で崩れた鼻や各種病気や傷を型どった石膏なんかもあって地味に賑やかなのだが、床にはミイラが寝転がっていたり、壁には背中から腕や太股まで一面の立派な刺青の人間の皮がまるで虎の敷物のようにペターッと貼り付いていたりしてなかなかの見応え。
等身大の円筒形の瓶には人間の全身の神経が丸ごと保存されており、電流のように細かい神経の線がぼんやりと人型を作っている。
瓶の端にプレートが付いていたので読んでみると「○○教授」と。
なんと、医学部の教授自らが献体となっていたのだ。
死んでなお医学の発展に役立とうとするその心意気に痺れたのは言うまでもない。
そして夏目漱石や横山大観などの日本の偉人達の脳ミソもホルマリン漬けになっていて、もうこの世にはいない歴史上の人物に脳ミソだけでも会えたのは不思議な感覚なのと同時に、いくら偉くても最期は脳ミソの漬け物になっちゃうんだなぁ~という諸行無常の響きもあり。
そんな宝の山に囲まれて当時の僕が興奮しないワケがない。脳内物質フルスロットル瞳孔全開ヨダレダラダラの躁状態で、もう時効だから白状するが、撮影禁止にも関わらず友人とこっそりカメラを持ち込んで写真まで撮っていたのだった。
しかし誤作動か、はたまた神はやはり見ているのか、突然カメラのフラッシュが光ってしまったのである。
するとあんなにやる気なさそうだった白衣の中年男性が小部屋から瞬時に出て来て「今、フラッシュが光りました」と厳しい口調で詰め寄って来る。
「一体、何を撮りましたか?」と更に詰問され、内心アワアワしながらも持ち前の図々しさで、本当はヤバイのいっぱい撮ってたくせにいちばん当たり障り無さそうな「ミイラだけです…」と大嘘ぶっこくも「本当にミイラだけですか?」と鋭い目で迫られ、しかし負けじと「はい、ミイラだけです!」と白々しく押し通すと、「本来ならフィルム没収ですが、今回はミイラだけとの事なのでそこまではしません。」との事。
助かった~!&ミイラはいいんかい!?という複雑な気持ち。
こうして怒られてスゴスゴと後にした東大医学部標本室。
「貴方にとっての思い出の場所は?」と訊かれれば間違いなくここであり、もう一度訪れたい場所でもある。
僕も大人になって、素敵な物事は自分の目に焼き付けるのがいちばん良い事を知ったので、もう写真は撮らないから~!
(ちなみに当時はデジタルでなく紙焼きの写真だったので、もう手もとには無く、というか現像に出したかすらも憶えていない。残ってればお宝だったのかも!?)