2019/11/10

大団円:中編

 舞台というのは他のエンターテイメントに比べてとても非効率的で、本番は一週間しかないのにそのために稽古は一ヶ月間しなきゃいけないっていう、コスパで言ったら最悪なコンテンツで、でも逆に言えば観客の目に耐え得るものを作るにはどうしてもそれくらいかかってしまうのだ。

 稽古という名の一ヶ月の共同生活、初めましての人ばかり。気分はもうテラスハウスである。(男だらけの。)

 ジュラル星人のアンサンブルってもっと30人くらいウジャウジャ居るのかと思ったし一般応募からももっと居るのかと思ってたけど、計8人で一般からは僕と後のパパ役である篠原麟太郎くんの2人だけ、この2人以外はもう先に決まってて、みんな芸能事務所に所属してるし、でも同じように例のオーディションに通過したメンバー。

 ここで少し自身の舞台経歴に触れておくと、学生時代(もう20年前とかになるけど)に「ロリータ男爵」(以下ロリダン)という名の小劇場系の劇団で初めて舞台に立ち、そこはもともと多摩美術大学の演劇部から派生した劇団でしかもミュージカルなのだがミュージカルの大袈裟な部分を逆手に取ってバカバカしい事をやってたとこで(主宰の田辺茂範氏は今は脚本家として『トクサツガガガ』全話や初期の『けものフレンズ』を書いたりしてて『チャージマン研!』も初日観に来てくれたんだけど、告知を送った時に「チャー研やりたかったんだよ、うらやま〜」って言ってた。そして今回のチャー研の宣伝美術や物販のデザインをしてる人が多摩美演劇部出身でロリダンも観てくれてたので僕の事も知ってたという!)、僕は美大生ではなかったけどデザインの専門学校に通っていたので関係も近しく、そのロリダンが『信長の素』という織田信長をテーマにした作品で武士のアンサンブルを大量に募集していた時にクラスメイトのロリダン好きが一緒に参加しようよ!と言うものだからあまりよく解らぬまま参加したのがキッカケで、だから俳優志望も全くなく、当時は演劇というと電車の広告で見る劇団四季や『レ・ミゼラブル』みたいなのか、もしくは寺山修司などのもはや様式化されたアングラしかイメージがなく、いざロリダンに参加してみたら演技は素人同然のゆるさな上にみんな美大生だから舞台セットや美術や小道具を手作りしてて「こんなんでいいんだ!?」という衝撃が強かったけどそれが新鮮で楽しくて、でもロリダン側も僕に対する衝撃があったみたいで、それは一応時代劇だったのでアンサンブルは自前で戦国時代の格好を用意してくださいとあって、僕を誘ったその友人に「どうしよう?」と相談したら「ロリダンはゆるいから何でも平気だよ〜」と言われたのを真に受けて取り敢えず自前でそれ(戦国)っぽくするか!とコーディネートしたのが、頭には兜代わりにガスマスクを乗せ、トップは忍者の描かれたよく京都とかで売ってる土産物のTシャツ(しかも子供用なのでパツパツ)、ボトムは酒屋の前掛けをして、下駄履いて背中にはこれまた子供用のオモチャのプラスチック刀を背負って衣装合わせに行ったら他の人達は美大スキルですんごいリアルな鎧とかを手作りしてて、ヤバっ…と思ったけどロリダン側もこいつヤバっ…って思ったみたいで、でも面白いから良しとした模様。

 これは後から告げられたのだが今回の『チャージマン研!』のオーディションでもやはりヤバイ人だと思われていたようで、一次の書類で何だコイツは?と画像検索をかけたらやっぱりヤバくて、でも普段は普通なのかもと呼んでみたら実際もヤバくて「殴られるかもと思った」とさえ言われ。デフォルトですけどね、それが。コチラとしては。

 なので他の出演者からも最初は敬遠されまくり、自分も今までの人生で散々「怖い」「何話していいか判らない」「緊張する」など言われまくってきたので自分から話し掛けるのも威圧感あったら申し訳ないな…っていうのもあったし、コチラからしてもみんなイケメンで爽やかな人ばっかだから何話していいか判んないし、っていう平行線の状態がしばらく続いたものの主に喫煙所でポツリポツリと色んな人と話し始めて徐々に打ち解けていくスタイル。稽古前のアップではプロディジーやアタリ・ティーンエイジ・ライオットなど暴力的な音楽を聴いて自分を鼓舞していたのはナイショの話。

 そんな中で僕はセリフの憶えが昔から異常に悪く、今回も2行くらいのセリフすらいつまでもまともに言えなかったりと。僕のセリフ憶えの悪さの原因は諸説あって(×諸説→◎言い訳の数々)、先述のロリダンが稽古初日に台本が全部上がってるという事がなくて、稽古中シーンごとに台本が追加されて随時それを読みながら稽古を進めて行って本番の数日前にやっと台本を手放して通すという形だったのでわりと長い期間常に台本を持っているのが当たり前だったから手放すと不安が大きく、文字を暗記するだけならまだしも芝居だから動きながらセリフを言うので考える事が増えるし相手役と目が合うと動揺したりして色んな事に気を取られてしまったり、単純にセリフが自分の体を通してシックリくるために言葉だけじゃなくそういう動きとか気持ちとか自分から見える景色とか諸々全てが合致してからじゃないときちんと憶えられないから時間がかかってしまうのです。なので逆にセリフの言葉だけ先に憶えられる人が不思議で仕方ないっていうか。いわゆるポンコツですね。Windows95くらいの処理能力。(てか書いてて思ったんだけど普通に軽度の発達障害よね。)

 そんな状態をね、メインキャストの皆様は面白がって笑うのですよ。

 みんなセリフやダンスの振付とかも憶えがすんごい早いの!それが当たり前なのかもだしプロだからと言えばそれまでかもだけど、長〜いセリフもね、すぐに憶えてて。しかも皆さんいくつか現場か掛け持ったりもしてる中で!何なん?て思うわー。
だからそういう人達からしたら僕みたいのは珍獣みたいな感じがするんだろうね。

 その情けなさったらないよね。

 悔しいというより人間としての格差に落ち込むというか。

 更には、いまだに舞台の上手(かみて)下手(しもて)すら迷う人間なのに今回は出捌け口が4つもあるから自分がどこから捌けて次にどこから出るのか、そして同じ主題歌をバージョン変えて何回も踊るから振付がごっちゃになったりして連日パニックで、夜型の人間が日中動いて太陽の光を浴びるだけでしんどいのにバキバキに踊らされてヘトヘトになって帰宅して仕事進めてっていう地獄のルーティン、20代ならいいよ寝れば回復するから。しかしこっちは40才なんじゃ〜!!!と蓄積する疲労と摩耗する体力をひしひしと感じながら、でも板の上に乗るのであれば皆条件は一緒。せめて足を引っ張る事だけは避けたい、ただそれだけを念頭にポンコツおじさんは日々お稽古を頑張るのでありました。

 僕が関わってきた小劇場系の劇団っていわば自主制作のインディーズみたいなもんだから今回みたいにきちんと制作会社が入ったりしてる舞台の現場は初めてで、だからメチャクチャな作風とかは散々やってきてむしろ慣れたもんで懐かしさがあったしなんならお手の物だけど(例えば今回客席にキャストが乱入したりもあったけど、ロリダンでは傾斜の付いた客席を崖とみなし後方の座席から椅子の背もたれ部分に乗ってお客さん達の頭を跨いで越えながら舞台上へ向かったりしてたので)、顔合わせとか座席に自分の名前の書いてある紙が貼ってあって様々な関係者達の前で一人一人コメントを…とか大人の現場過ぎて萎縮したもんね。もうホントいくつになってもそういうキッチリした雰囲気が無理で死ぬかと思ったわ。コメントもしどろもどろになって自己嫌悪。
しかも今回ドキュメンタリー映像の撮影が入ります!って、素の状態を撮られるのが大の苦手だしみんなイケメン俳優の普段の姿を観たいのであって俺なんて誰も観たくねーだろって事で、むしろ撮る側に回ったよね。そうすれば自分が映らないから。

 でもこれが予想外に楽しくって。なんだろね、生じゃないと見えない部分て確かに多いんだけど、逆にカメラのモニター越しに見えてくる事もたくさんあって。

 例えば顔のアップなんて撮ってると普段とは違う至近距離で顔が見えるので、眼差しとかね、物事への取り組み方にもそれぞれ個性があって面白いんだよね〜。板の上で素敵な人というのはそれ以前に素敵なんだよね。人の魅力。

 稽古ではゆるくやってるようで細かいダメ出しも多く、特に発声であったりその音域であったりセリフのテンポだったりの、声を音として捉えた時のイメージに演出のこだわりが見えて、それは全体のリズムだったりシーンの雰囲気やそれぞれの役柄の性格に反映されていったのも興味深かった。
役作りなんかも稽古期間で各々試行錯誤があって最終的なものを本番で演じているワケだけど、そこに至るまでのボツになったモノ達もいちいち面白くて笑ってばっかの稽古場だったな。メインキャストの皆さんも積極的に代役とかやってくれてそれがまた可笑しかったり。そういう「必要な無駄」をたくさん重ねて産まれた作品で、その面白さの底上げをしてくれたのはやはりメインキャストの皆様で、例えば僕なんかがコレくらいかな?と思ってやった演技の倍以上の演技を即座に提示してきて、そうすると、あ、もっとか!ってなるしギアをいきなりトップに入れる訓練にもなって、そうやって引っ張ってくれたおかげで全体の面白度も上がったんだと思う。

 一ヶ月間、全体としてはとても順調で、通し稽古も何度も出来たし、何回「GO! GO! 研!」て言ったのか計り知れなくて、あとは劇場で実際に動いてみる事を待つばかり!と完璧に近いような終わりを見せた稽古であったが、実際に会場入りしてみるとそこには様々な罠が我々を待ち受けていたのであった…!

続く